多言語の街 ― 閉じたことのない道

多言語の街 ― 閉じたことのない道
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ベンガルールのバスの車掌は、二つの停留所のあいだで三度、言葉を切り替えることがあります。運賃はカンナダ語、冗談はタミル語、道案内はヒンディー語、迷う乗客には短い英語。ギアを替えるように言葉が替わっても、誰も気にとめません。 州の言葉はカンナダ語。この街でそれを母語として育った人は、十人に四人あまりです。ほかの母語を並べると、高原へ上る道の地図になります。 テルグ語は早くに来ました。ヴィジャヤナガル王国の時代、首長や商人が運んだ言葉です。ウルドゥー語はデカンのスルタン国とともに届き、ハイダル・アリーとティプー・スルタンの時代に根を張ります。十八世紀にはティガラの庭師たちがタミルの地から上ってきて、十九世紀にはアルコットの人々が英国の駐屯地へ働きに来ました。二十世紀にはウドゥピの料理人が、一九四〇年代からは工場のためにインド中の技術者が。そして一九八〇年代からは、かつてない数のプログラマーたちが。 どの言葉も、ほかを消しはしませんでした。 古い溜め池の底に泥が積もるように、層になって重なっていったのです。一本の通りに、カンナダ語の看板、タミル語の祈りの歌、ウルドゥー語の店の名、英語の仕事の会話が、ひと息のうちに並んでいます。 この街には「ガーデン・シティ」という呼び名もありました。評判が根づいたのは一九二七年ごろ、藩王クリシュナラージャ・ワディヤール四世の即位二十五周年のころだと言われます。ドイツ人の園長クルンビーゲルが植えた木々が、並木道の形をつくりました。 古い通りのいくつかでは、いまも広い樹冠が、植えた人の思いも寄らなかった車の列に影を落としています。 新しい人は、いまも来ます。列車の一本一本、北の平原の空港に降りる夜の便の一つ一つが、言葉や技を、あるいは希望だけを抱えた誰かを運んできます。土の砦を築いた首長も、庭師も、兵士も、技術者も、同じ道でこの高原へ上ってきました。その道は一度も閉じたことがありません。いちばん外れの高架道路の、さらに先で、道の続きがいまも誰かに歩かれています。 場所:ベンガルール市内全域 特徴:カンナダ語はカルナータカ州の公用語(2011年国勢調査で市民の約42%の母語)。次いでタミル語、テルグ語、ウルドゥー語。「ガーデン・シティ」の評判は1927年の藩王クリシュナラージャ・ワディヤール4世即位25周年と結びつけられる 地図:ベンガルール地図 公式サイト:Karnataka Tourism Photo: Ashwin Kumar from Bangalore, India / Wikimedia Commons_(8082053923).jpg) (CC-BY-SA-2.0)

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