ペテとカントンメント ― 一つの高原に二つの街

ペテとカントンメント ― 一つの高原に二つの街
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チッカペーテの路地には、新しい布の匂いがこもっています。間口が戸板一枚ほどの店に絹の反物が天井まで積み上がり、手押し車が肩を擦り合わせるようにすれ違う。曲がりくねった路地の線は、五百年近く前に引かれたものです。 1537年、首長ケンペ・ゴウダは土の砦の町を築き、ドッダペーテと呼ばれる四つ辻で交わる二本の大通りを通しました。その周りに置かれたのが、商いごとの市場町、ペテです。綿、穀物、米、手仕事。荷を積んだ商人たちが集まり、町の名は売られる品の名になりました。コットンペーテという名は、いまもそれをそのまま伝えています。いまのチッカペーテは、マールワーリーの商人たちが多く暮らす絹のサリーの街です。少年シヴァージーが、父シャハージーの治めるこの町で日々を過ごしたという言い伝えもありますが、記録ではなく物語です。 やがて東へ数キロ、ひらけた土地にもう一つの街が立ち上がります。1799年にティプー・スルタンが倒れると、英国はシュリーランガパトナよりも健やかな駐屯地を探し、十九世紀の最初の十年のうちに、この高原の涼しい空気を選びました。連隊が行進して入り、そのあとを北アルコットと南アルコットのタミルの働き手や商人たちが追いました。練兵場と兵舎が、まっすぐな線で東の土地に広がりました。 それから百年以上、二つの町には二人の主がいました。古いペテはマイソールのもの。民政・軍事ステーションは英国がマドラス管区を通じて直接治め、独自の市政を持ちました。1864年に鉄道が届くと、カントンメントはいっそう強くマドラスと結ばれます。 1947年、ステーションはマイソールに返されました。 そして1949年、二つはついにバンガロール市公社として一つに結ばれ、初代市長を迎えます。 それでも継ぎ目は消えていません。西の路地はいまも古い四つ辻のまわりで渦を巻き、東の道はいまも閲兵の直線を保っています。二つの格子のあいだを、人と車が毎日行き来し、古い野営地と古い市場を、交差点一つずつ縫い合わせ続けています。 場所:チッカペーテなど旧市街のペテ(西)、MGロードと練兵場周辺の旧カントンメント(東) 成立:1537年にケンペ・ゴウダがペテの町を建設/19世紀最初の十年に英国軍の駐屯地が移転 特徴:ドッダペーテの四つ辻を中心とした商い別の市場町/英国が別に統治した民政・軍事ステーション/1947年にマイソールへ返還、1949年にバンガロール市公社として統合 地図:ベンガルール地図 公式サイト:Karnataka Tourism Photo: Saad Faruque from Bangalore, India / Wikimedia Commons.jpg) (CC-BY-SA-2.0)

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