ケンペ・ゴウダの塔 ― まだ見ぬ街の境界

ケンペ・ゴウダの塔 ― まだ見ぬ街の境界
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固く突き固められた土が、長い土手になって盛り上がっている。その外側には、水をたたえた堀。この街の最初の城壁は、石ではなく土でした。 一五三七年、北のイェラハンカを治めていたケンペ・ゴウダという首長が、ヴィジャヤナガル王国の皇帝から築城の許しを得ました。二十代の後半。モラス・ヴォッカリガという農耕の民の出で、南インドの大帝国に仕える地方領主でした。彼が築いたのは、堀をめぐらせた土の砦と、その内側の新しい町です。 町の設計は簡潔でした。二本の大通りがドッダペーテの広場で交わり、そのまわりに、綿、穀物、米、手仕事と、商いごとの市場町が並ぶ。ケンペ・ゴウダはこの土地を「英雄の大地」と呼びました。いまも旧市街の狭い通りには、同じ筋に沿って商人たちがひしめいています。 彼自身の道は、まっすぐではありませんでした。帝国と対立して領地を奪われ、五年ものあいだ囚われの身となり、そののちに復帰を許されたのです。 そして塔が建ちました。町の四方の高台に置かれた、小さな四つの見張り塔。南は大きな岩の上、東はウルスール湖のほとり、北はいまのメクリ・サークルの近く、西はケンパンブディ池のそば。建てた人物は定まっていません。伝承はケンペ・ゴウダ家、なかでも後継者のケンペ・ゴウダ二世に帰しています。 そして、ひとつの言い伝えがあります。塔は守りのためのものではなかった。街はいつかこの線まで広がり、その先へは行かない――ケンペ・ゴウダがそう定めた、境界の印だったというのです。 街は、その約束を聞きませんでした。四つの塔をとうに越え、どの塔からも何十キロも先まで、尾根と谷を越えて広がり続けています。 南の岩山では、小さな塔がいまも剥き出しの岩の上に立っています。 創設者の名も、街のバスターミナルと国際空港に残っています。空港には高さ三十メートルを超える青銅の像も立ちます。四つの塔はいまや、囲むはずだった街の奥深くにあります。道はさらに続き、南の岩のふもとへ。やがてひとりのスルタンが、その岩の下に庭をひらきます。 場所:ラールバーグの岩の上のケンペ・ゴウダの塔(ほかの3基はウルスール湖、メクリ・サークル、ケンパンブディ池の近く) 建立:1537年、ケンペ・ゴウダ一世が土の砦と町を建設。塔はケンペ・ゴウダ家(伝承ではケンペ・ゴウダ二世)による 特徴:ドッダペーテで交わる二本の大通りと、商いごとの市場町(ペーテ)。塔が街の将来の境界を示したという話は伝説 地図:ベンガルール地図 公式サイト:Karnataka Tourism Photo: Rohan Pinto / Wikimedia Commons (CC-BY-SA-4.0)

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