カボン公園の縁で、二つの建物が道を挟んで向かい合っています。一つは赤褐色で、ヨーロッパの裁判所のようにイオニア式の柱が並ぶ。もう一つは、ドームをいただいた彫刻の石の巨体です。そのあいだに横たわるのは、この街がどんな姿であるべきかという長い問いです。
先に建ったのは赤い建物でした。1860年代、英国の行政はまだティプー・スルタンの古い宮殿で執務していましたが、部屋は手狭で危険でした。長官ルーウィン・ボウリングが新しい庁舎を命じ、リチャード・サンキーが設計して、1868年に役人たちが移り住みます。人々はそれをアッタラ・カチェリ、十八の役所と呼びました。いまはカルナータカ高等裁判所です。
独立後に現れた建て手は、州首相ケンガル・ハヌマンタイヤです。1951年7月、ネルーが新しい議事堂の礎石を置き、翌年に工事が始まりました。訪れたソ連の代表団が、この街の立派な建物はどれもヨーロッパ風だと言った、という話が伝わっています。細部ははっきりしませんが、答えは明快でした。ハヌマンタイヤが選んだのは、チャールキヤ、ホイサラ、ヴィジャヤナガルの建築を引き継ぐネオ・ドラヴィダ様式でした。
築いたのは五千人を超える働き手で、うち千五百人ほどが石工や彫り職人でした。四年のあいだ、鑿が石を打つ音が響き続け、建物は人の手で形になっていきました。
1956年、ヴィダーナ・サウダが完成すると、その入口の上に、英語とカンナダ語で一行の言葉が掲げられました。 政府の仕事は、神の仕事。
赤い建物は、あやうく消えるところでした。1982年、政府はアッタラ・カチェリの取り壊しを計画します。市民が訴え、最高裁判所が乗り出し、1985年に計画は取り下げられました。植民地の長官が命じた建物と、選ばれた州首相が命じた建物。どちらも、この高原へ働きに来た人々の手が築いたものです。
毎朝、議員たちは一方へ、弁護士たちはもう一方へと入っていく。過去に何を負い、人々に何を負うのか。二つの建物の対話は、道を挟んで今日も続いています。
場所:ヴィダーナ・サウダ。向かいにアッタラ・カチェリ(カルナータカ高等裁判所)、カボン公園の縁
建立:ヴィダーナ・サウダ 1952〜1956年(1951年7月13日、ネルーが礎石)/アッタラ・カチェリ 1864〜1868年
特徴:カルナータカ州議会と州政府の本拠/州首相ケンガル・ハヌマンタイヤが推したネオ・ドラヴィダ様式/五千人超の働き手/入口の銘「政府の仕事は神の仕事」/アッタラ・カチェリはリチャード・サンキー設計、1980年代に取り壊しを免れる
地図:
ベンガルール地図
公式サイト:
Karnataka Tourism
Photo: zablanca_clicks /
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