ぜんまい式の腕時計は、小さく乾いた音を立てます。何十年ものあいだ、インドの人々の手首で刻まれたその音の多くは、この高原の工場から生まれていました。
工場の時代は、戦争とともに始まります。一九四〇年十二月、世界に戦火が広がるなか、実業家ワルチャンド・ヒラチャンドがマイソール藩王とともに、バンガロールにヒンドゥスタン航空機会社を興しました。翌月、赤い土に礎石が据えられ、一九四二年にはアメリカの設計による飛行機のライセンス生産が始まります。試験飛行のエンジン音が、旧市街の東の野を低く渡っていきました。
その飛行場は、戦後も声を上げ続けます。一九四六年から街の民間空港となり、六十年あまり、旅人を東の郊外の空へ送り出しました。二〇〇八年五月のある夜、便が北のデーヴァナハリへ移るまで。会社はのちに合併し、今日のHALになります。
独立のあと、工場は次々に生まれ、そのたびに新しい人々が高原への道を上ってきました。電話機器のITI。一九五三年のヒンドゥスタン工作機械、HMT。翌年には軍のための電子機器をつくるバーラト・エレクトロニクス。
やがてHMTは、その精密さを身につけるものへ向けます。一九六一年、日本のシチズンと組んで時計づくりを始め、ネルー首相が最初の時計を世に送り出しました。 飾り気のない「HMTジャナタ」は国中の手首で時を刻み、バンガロール生まれの小さな機械が、国のすみずみまで旅をしたのです。
つくり手たちもまた、あらゆる土地から来ました。北から、東から、遠い南から、工員も技術者も。工場は彼らのために町を用意しました。ジャラハリやドゥールヴァーニナガルのあたりに宿舎が並び、学校ができ、いくつもの母語を話す子どもたちが、並んで育っていきました。
時計の生産ラインは、二〇一六年に止まりました。けれど、この町々に集まった技と、研究所で育った科学者たちは、散り散りにはなりませんでした。それが、次にやって来る人々の足場になります。次の波はすでに近づいていました。工具の代わりに、コードを携えて。
場所:HAL空港/ヒンドゥスタン航空機(HAL)、ベンガルール東部
創業:1940年12月23日、ヒンドゥスタン航空機会社(ワルチャンド・ヒラチャンドとマイソール藩王)
特徴:HAL飛行場は1946〜2008年に市の民間空港。ITI(1948)、HMT(1953、1961年からシチズンと時計生産、2016年終了)、BEL(1954)。工場の町にインド各地から働き手が集まった
地図:
ベンガルール地図
公式サイト:
Karnataka Tourism
Photo: Rameshng /
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