濠の輪郭が、一か所だけ不自然にゆがんでいます。本来ならなめらかな曲線を描くはずの
濠と内堤が、ある角だけ内側へえぐれている。
[応神天皇陵古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_11)、別名
[誉田御廟山古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_11)の設計に残る、ためらいの跡です。
ゆがみの理由は、築造の前からそこにあった
[二ツ塚古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_11)でした。全長およそ110メートルの
前方後円墳で、四世紀の後半に築かれています。五世紀の初めごろ、{応神陵|おうじんりょう}を築く人々は、先にあった墓を取り壊さず、避けるように濠と堤の形を曲げたとされています。測り、杭を打ち、縄を張る。その途中で、誰かが「ここは壊さない」と決めたことになります。
{応神陵|おうじんりょう}は墳丘の長さ約425メートルで、
仁徳陵に次ぐ二番目の大きさです。後円部の高さは三十数メートル。墳丘は三段に築かれ、斜面は{葺石|ふきいし}で覆われていたと考えられています。盛られた土の量は百四十万立方メートルを超え、体積では日本一とされています。
宮内庁が応神天皇陵として管理し、隣には応神天皇を祀る{誉田八幡宮|こんだはちまんぐう}があります。古墳の森は、神社の神域として長く守られてきました。{誉田|こんだ}という地名は、応神天皇の幼いころの名、{誉田別尊|ほむたわけのみこと}にちなむとされます。そばにある{誉田丸山古墳|こんだまるやまこふん}は、直径五十メートルほどの{円墳|えんぷん}です。この{円墳|えんぷん}からは、{金銅製|こんどうせい}の馬具が出土しています。黄金色に輝く鞍や飾りをつけた馬が、王の葬列に加わっていたのかもしれません。
濠の水面には、墳丘の森が逆さに映ります。{応神陵|おうじんりょう}の周りには、いくつもの小さな塚が輪を描くように点在し、その配置は、王の墓がひとつの町のような広がりをもっていたことを伝えています。
先に眠る者を押しのけなかった、曲がった濠。巨大な事業のさなかに、設計者がほんの少し足をとめた気配が、いまも地図に残っています。
名称:
誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)
所在地: 大阪府羽曳野市誉田
地図
エリア:
古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)
墳形:
前方後円墳
墳丘長: 約425メートル(
大山古墳に次ぐ第2位)
後円部高さ: 三十数メートル
特徴: 盛土の体積では日本最大とされる/二ツ塚古墳を避けて濠が曲がる
周辺の古墳: 誉田丸山古墳、二ツ塚古墳、
陪塚
管理: 宮内庁(
応神天皇陵として治定)
登録:
百舌鳥・古市古墳群(2019年 ユネスコ世界文化遺産)
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
Wikimedia Commons (CC0)