この兄弟がどの墓に眠るのかは、確定していません。伝わるのは、『{古事記|こじき}』『{日本書紀|にほんしょき}』が語る、兄弟王の姿です。
大きすぎる父を持つ子は、どう生きるのか。
[仁徳天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_19)の二人の息子が、兄の
[履中天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_21)と、弟の
[反正天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_21)です。
兄の物語は、炎から始まります。父の没後、王位を狙った弟の{住吉仲皇子|すみのえのなかつみこ}が、宮に火を放ったと伝えられます。酒に酔って眠りこんでいた履中は、側近に助け起こされて、燃える宮を逃れました。その反乱を鎮めたのが、もうひとりの弟、{瑞歯別皇子|みずはわけのみこ}、のちの{反正天皇|はんぜいてんのう}だった、と伝えられます。血を分けた者どうしが王座を争う。巨大な墳丘を築いた一族の、もうひとつの顔です。
弟の{反正天皇|はんぜいてんのう}は、まったく違う逸話で語られます。『{古事記|こじき}』は、その歯並びが、珠を貫いたように整っていたと記し、『{日本書紀|にほんしょき}』は、{瑞歯別|みずはわけ}という名の由来を、生まれつき歯が美しかったことに求めます。争いの記録より先に、整った歯並びで記憶される王。{河内|かわち}の{丹比|たじひ}に宮を置いたと伝えられ、{柴籬宮|しばかきのみや}の名で知られています。兄は大和の{磐余|いわれ}に宮を置いたと伝えられ、二人は、住む土地もはなれていました。
墓の大きさは、二人でまるで違います。兄に重ねられる
履中陵は約365メートル、弟に重ねられる
反正陵は約148メートル。しかも、兄の墓とされる古墳は、考古学では父の仁徳陵より古いと見られています。名前と、墳丘の規模や年代は、必ずしも伝承の順序に重ならないのです。二人の名が並べて語られるとき、そこには、巨大な父の影のもとで、それぞれのやり方で王であろうとした兄弟の姿があります。
炎をくぐった兄と、珠のような歯の弟。二人の名は、大きさも年代も食いちがう二つの墳丘に、いまも預けられたままです。
区分: 人物編(伝承上の被葬者)
兄:
履中天皇(去来穂別尊)―
仁徳天皇の第一皇子
弟:
反正天皇(瑞歯別尊)― 生来歯が整っていたとの伝承
出典: 『古事記』『日本書紀』に基づく伝承上の人物像(被葬者は未確定)
伝承上の陵(兄):
履中天皇陵古墳(上石津ミサンザイ古墳)― 大阪府堺市西区
伝承上の陵(弟):
反正天皇陵古墳(田出井山古墳)― 大阪府堺市堺区
所在地マップ:
百舌鳥・古市古墳群マップ
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
Wikimedia Commons (CC0)