巨大な墳丘に眠る人が、本当に{仁徳天皇|にんとくてんのう}なのかは、誰にも確かめられません。これから語られるのは、『{古事記|こじき}』と『{日本書紀|にほんしょき}』が伝える、伝承のなかの姿です。
ある朝、{難波|なにわ}の{高津宮|たかつのみや}の高台に立った王が、国を見わたします。本来なら、朝餉の煙が立ちのぼるはずの家々から、煙がひとすじも上がらない。かまどに火が入っていない。民が食べるものに困っている証でした。王は、三年のあいだ、税と労役を免じると決めます。
その間、宮の垣は崩れ、屋根は破れて、風雨が入りこんだと伝えられます。それでも王は、修理を急がせませんでした。三年ののち、ふたたび家々から煙が立ちのぼったのを見て、王は語ります。民が富めば、私も富んだことになる、と。のちの人々は、この王を「聖帝」と呼び、かまどの煙の話は、為政者の理想として、何度も語り継がれました。
『{日本書紀|にほんしょき}』には、王が生前に、自らの陵の地を定めた日の話も記されています。工事のさなか、野の鹿が突然倒れて死に、その耳から{百舌鳥|もず}が飛び出した。以来、この地は{百舌鳥耳原|もずのみみはら}と呼ばれるようになった、といいます。
この「
[民のかまど](https://woud.io/kofun/ja/kofun_19)」の物語が、史実かどうかは、確かめるすべがありません。ただ、同じ『{日本書紀|にほんしょき}』は、この王が{難波|なにわ}の堀江を掘り、{茨田|まんだ}の堤を築かせたとも伝えています。水をさばき、土を積む大きな土木の事業と、民を思う聖帝の物語。これほどの巨大墳を築くために、膨大な人手を動かしたはずの王が、なぜここまで民を思う王として記憶されたのか。巨大さと、やさしさ。二つの顔を同じ人に重ねたとき、古代の人々が王に何を願っていたのかが、煙のように立ちのぼってきます。
煙は、誰の目にも見えます。王の徳を、蔵の財ではなくかまどの煙で測った語りの巧みさは、いまも色あせません。
伝承上の人物:
仁徳天皇(大鷦鷯尊)
主な出典: 『古事記』『日本書紀』
代表的逸話:
「民のかまど」— 三年間の課役免除
伝・陵墓:
仁徳天皇陵古墳(大山古墳)
所在エリア: 大阪府堺市・
百舌鳥エリア
注記: 被葬者は未確定であり、人物像は文献上の伝承に基づく
所在地:
大阪府堺市・百舌鳥エリア
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Sakai Yayoi /
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