古墳の{被葬者|ひそうしゃ}が確定していない以上、{神功皇后|じんぐうこうごう}や応神天皇の物語は、あくまで『{古事記|こじき}』『{日本書紀|にほんしょき}』が伝える、伝承のなかの姿です。
物語は、九州の地から始まります。{熊襲|くまそ}を討つために九州へ赴いた夫の
[仲哀天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_20)が{橿日宮|かしひのみや}で急に亡くなり、
[神功皇后](https://woud.io/kofun/ja/kofun_20)が、身ごもったまま、海を越える決断をした、と伝えられます。軍勢を率いて{新羅|しらぎ}へ渡ると、{新羅|しらぎ}の王は戦わずして降伏した、と語られますが、歴史学では、そのままの史実とは考えられていません。
帰りの道で、皇后は九州の地で皇子を産みます。のちの
[応神天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_20)です。海を越えて生まれた子、というこの筋書きが、応神を、大陸や半島との往来を象徴する王として記憶させました。母の胎内にいたまま海を渡った子として、「胎中天皇」と呼ばれることもあります。物語はさらに続きます。大和へ戻る途中、異母兄にあたる{忍熊王|おしくまのみこ}が、幼い皇子を迎え撃とうとして兵を挙げた、とも伝えられます。生まれたばかりの王は、はじめから争いの渦のなかにいたことになります。
『{日本書紀|にほんしょき}』には、{百済|くだら}から{阿直岐|あちき}が来て、皇子に学問を教えたとあります。『{古事記|こじき}』には、応神の時代に、{百済|くだら}から{王仁|わに}がやって来て、『論語』と『{千字文|せんじもん}』を献上した、という記事もあります。鉄や馬、土を高く積む技も、海の向こうから入ってきたと考えられています。
応神天皇陵古墳の途方もない規模は、その「海につながる王」の物語を、地面に刻んだ形にも見えてきます。
船が波をかきわけて進むときの、あの重たい揺れを、母がどう感じていたのかは、もう誰にもわかりません。寄せては返す波のように、外から来たものを受け入れ、自分たちの形に作りかえていく営みは、ここから始まったのかもしれません。
登場人物:
仲哀天皇・神功皇后・応神天皇(いずれも伝承上の人物像)
典拠: 『古事記』『日本書紀』
関連古墳:
応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳/古市エリア)
テーマ: 海を介した渡来文化と王統の伝説
注記: 古墳の被葬者は確定していない
所在地:
百舌鳥・古市古墳群(古市エリア)
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
Wikimedia Commons.JPG) (PUBLIC-DOMAIN)