この二人の人物像は、どちらも{被葬者|ひそうしゃ}として確定したものではありません。『{古事記|こじき}』『{日本書紀|にほんしょき}』に書かれた、伝承のなかの王と后の姿です。
『{日本書紀|にほんしょき}』によれば、
[允恭天皇](https://woud.io/kofun/ja/kofun_22)は、自分が王になることを、何度も断った人でした。足の病を理由に、即位をしりぞけ続けたといいます。最後に、后の{忍坂大中姫|おしさかのおおなかつひめ}が、冬の朝、水を張った鉢を捧げたまま、長いあいだ立ち尽くして頼みこみ、王はようやく即位を受け入れたと伝えられます。即位ののち、病に苦しんだ王は、{新羅|しらぎ}から医者を招いて治療を受けたとも伝えられます。海の向こうの知識が、王の身体にまで届いていたことになります。
ひとりの役人が、{氏姓|うじかばね}の台帳を前に、ため息をついています。誰がどの氏族に属し、どの家柄なのか。王の時代、その記録が乱れ、出自を偽る者が後を絶たなかったと伝えられます。一行の違いが、ひとつの家の格と運命を左右してしまう。
そこで王が取ったとされる方法が、
{盟神探湯|くかたち}でした。煮えたぎる湯に手を入れ、やけどをしなければ正しく、負えば偽り、とする。今の目には過酷な儀式ですが、乱れた秩序を結び直すための、切実な一手だったのでしょう。『{日本書紀|にほんしょき}』によれば、王は飛鳥の{甘樫丘|あまかしのおか}で、これを行わせました。以来、偽りは止んだと記されています。
そしてもうひとり、王統を支えた后がいます。応神天皇の皇后、
[仲姫命](https://woud.io/kofun/ja/kofun_22)です。『{日本書紀|にほんしょき}』では、のちの{仁徳天皇|にんとくてんのう}を産んだ人とされ、兄弟王たちへと続く系譜の、起点に立っています。{古市|ふるいち}の
仲姫命陵古墳は、その名を負った大きな墳丘として、いまも残っています。
記録を正す王と、血をつなぐ后。秩序は、記す人と産む人の、両方の手がなければ、途切れてしまうものだったのでしょう。
対象人物:
允恭天皇/
仲姫命
伝承上の事績: 氏姓秩序の是正、盟神探湯による出自の検証
仲姫命:
応神天皇の后とされ、後の大王の母として王統を支えた伝承上の女性
関連古墳:
允恭天皇陵古墳(古市エリア)/
仲姫命陵古墳(古市エリア)
出典: 『古事記』『日本書紀』が伝える伝承(被葬者は未確定)
所在エリア: 大阪府羽曳野市・藤井寺市
古市古墳群
公式サイト/Official Site:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
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