[仲姫命陵古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_15)は、墳丘の長さ約290メートル。{藤井寺市|ふじいでらし}の沢田にあり、四世紀の終わりから五世紀の初めにかけて築かれた、{古市古墳群|ふるいちこふんぐん}で二番目に大きな
前方後円墳です。宮内庁が葬られた人として示すのは、応神天皇の皇后、{仲姫命|なかつひめのみこと}。けれど、実際の{被葬者|ひそうしゃ}は明らかではありません。
この大きな墳丘のそばに、
方墳が三基、肩を寄せるように並んでいます。{助太山古墳|すけたやまこふん}、{中山塚古墳|なかやまづかこふん}、{八島塚古墳|やしまづかこふん}をあわせて
{三|み}ツ{塚古墳|づかこふん}と呼び、助太山は一辺35メートル、あとの二基は一辺50メートルほどです。少し離れて、{鍋塚古墳|なべづかこふん}も築かれています。{外堤|がいてい}に食いこむような位置にある{方墳|ほうふん}で、もとは一辺63メートルありましたが、いまは削られて、四十メートルほどになっています。
昭和五十三年の春、八島塚と中山塚のあいだの濠から、見慣れない形の木が掘り出されました。大きいものは全長8.8メートル、小さいものは2.9メートル。アカガシの自然木を加工した、二つの
{修羅|しゅら}です。{修羅|しゅら}は、重い石をのせて引く、そりのような運搬具と考えられています。
巨大な墳丘を築くには、大きな石や大量の土を動かす道具が要りました。{修羅|しゅら}が見つかった濠は、その運搬にどんな工夫があったのかを伝える、数少ない手がかりです。太い木を二股に分かれた枝ごと使い、重さに耐えるように削り出した形からは、道具をつくった人の、経験の深さが伝わってきます。
何十人もが綱を引き、石をのせた{修羅|しゅら}が、丸太の上をゆっくりとすべっていく。そんな光景が、泥のなかから掘り出された木の形から、思い描かれてきました。
{后|きさき}の{名|な}を{刻|きざ}んだ石碑は残らず、かわりに、重いものを動かした道具が、泥のなかで待っていました。
名称:
仲姫命陵古墳(仲津山古墳)
所在地: 大阪府藤井寺市沢田
地図
墳形・規模:
前方後円墳/墳丘長 約290メートル(古市で2番目の大きさ)
築造時期: 4世紀末から5世紀初めごろ
被葬者(伝承):
仲姫命(
応神天皇の皇后と伝わる、被葬者は未確定)
三ツ塚古墳: 助太山・中山塚・八島塚(並ぶ三基の
方墳)
出土遺物:
修羅(木製の石材運搬具)— 八島塚と中山塚のあいだの濠から出土
鍋塚古墳: 方墳(もとは一辺約63メートル、現状は約40メートル)
世界遺産:
百舌鳥・古市古墳群(2019年登録)構成資産
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
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