潮の匂いをふくんだ風が、台地を吹き抜けていく。五世紀、大阪湾を北から入ってきた船の上で、舵をとる水夫の目に、白く光る丘がいくつも映りはじめます。当時の人々にとって、海は外の世界への玄関でした。
当時の海岸線は、今よりずっと陸側に入りこんでいました。
[百舌鳥](https://woud.io/kofun/ja/kofun_24)の台地は、海に面した高まりだったと考えられています。そこに築かれた巨大な墳丘は、斜面をおおう
葺石が日を受けて白く輝き、海上からも望めたといわれます。墓であると同時に、港へ入る者へ王権の大きさを告げる看板でもあったのでしょう。
{百舌鳥|もず}から東へ十キロほど、内陸に入ると、もうひとつの古墳の群れが現れます。
[古市](https://woud.io/kofun/ja/kofun_25)です。大和川と石川が合流するあたりで、奈良盆地と{河内平野|かわちへいや}、そして{難波|なにわ}の港を結ぶ道が交わる、人と物の結び目でした。海を渡ってきた鉄や技術、人が、川と道をたどって内陸へ運ばれていく。その中継の場所に墓を築くことは、王権の力を見せることにもなったと考えられます。
{古市|ふるいち}のほうは、四世紀後半の{津堂城山古墳|つどうしろやまこふん}から六世紀はじめの{峯ヶ塚古墳|みねがづかこふん}まで、一世紀半ほどにわたって墓が築かれ続けた土地です。{大王|おおきみ}の墓が代を重ねて同じ一帯に築かれていく姿は、ここが長く特別な場所として意識されていたことを思わせます。
海に向かって誇る{百舌鳥|もず}と、内陸の交通を押さえる{古市|ふるいち}。性格の異なる二つの土地に、どちらも四世紀の後半から墓が築かれはじめ、五世紀に巨大な墳丘が集中します。同じ王統が墓の場所を移していったのか、別々の勢力が並び立っていたのか。研究者のあいだでも、見方は分かれています。
海からの風と、川をさかのぼる風。二つの風が吹き分ける場所に、王たちは自らの居場所を定めたのかもしれません。
名称:
百舌鳥・古市古墳群
所在地: 大阪府堺市(
百舌鳥エリア)/羽曳野市・藤井寺市(
古市エリア)
構成: 45件49基の古墳
世界遺産登録: 2019年7月
百舌鳥エリアの特徴: 大阪湾をのぞむ台地、海上からの可視性
古市エリアの特徴: 大和川・石川の合流域、大和と難波を結ぶ交通の要衝
地図:
百舌鳥・古市古墳群マップ
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: 国土地理院 /
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