御廟山古墳とニサンザイ古墳 ― 百舌鳥東部の大型墳

御廟山古墳とニサンザイ古墳 ― 百舌鳥東部の大型墳
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{百舌鳥|もず}の中ほどから東寄り、住宅地のあいだに、ふたつの濠が水をたたえています。[御廟山古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_9)と[ニサンザイ古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_9)。どちらも全長二百メートルを超える前方後円墳です。海に近い南西の履中陵に比べると、この二基は台地のより内陸寄りに築かれています。 {御廟山古墳|ごびょうやまこふん}は墳丘の長さ約203メートル、後円部の高さは約18メートルです。御廟山という名も、貴人の墓を指す「御廟」という言葉に由来します。五世紀の前半に築かれたと考えられています。宮内庁は「{百舌鳥|もず}{陵墓|りょうぼ}参考地」として管理していて、応神天皇の陵の可能性がある、という扱いです。{被葬者|ひそうしゃ}は確定していません。墳丘には{造|つく}り{出|だ}しが張り出し、円筒{埴輪|はにわ}が隙間なく並べられ、{造|つく}り{出|だ}しからは、さまざまな形象{埴輪|はにわ}が見つかっていることが、調査でわかっています。堺市博物館には、一説にこの古墳で使われたかと推測される{長持形石棺|ながもちがたせっかん}のかけらが、伝えられています。 一方のニサンザイ古墳は、全長約300メートル。五世紀の後半に築かれた、{百舌鳥古墳群|もずこふんぐん}でもっとも新しい大型墳とされます。前方部の高さはおよそ26メートルあり、二重の濠をめぐらせています。{百舌鳥|もず}では、この古墳のあとに、巨大な前方後{円墳|えんぷん}は築かれません。ニサンザイという名は、みささぎという古い言葉がなまったものと考えられています。 平成二十四年、濠の調査で、そこにかけられていた木の橋の一部が見つかりました。墳丘へ渡るための橋だったのか、葬送の祭りに使う施設だったのか。いずれにせよ、濠はただ水をためた堀ではなく、人が渡る場でもあったことになります。墳丘と外の世界を結ぶ、細い通路がそこにあったのです。 名を失った王の墓に、いま語れるのは、濠の底から出てきた橋の木材だけです。 名称: 御廟山古墳 / ニサンザイ古墳 所在地: 大阪府堺市北区 地図 墳形: 前方後円墳 規模: 御廟山古墳 全長約203m / ニサンザイ古墳 全長約300m 築造時期: 御廟山古墳 5世紀前半/ニサンザイ古墳 5世紀後半 特徴: 埴輪列、ニサンザイ古墳の濠から木橋の一部が出土 世界遺産: 百舌鳥・古市古墳群(2019年登録) 公式サイト: 百舌鳥・古市古墳群 Photo: Hyppolyte de Saint-Rambert / Wikimedia Commons_hdsr_S5_m27.jpg) (CC-BY-4.0)

https://woud.io/kofun/ja/9