墳丘の長さは、長く約486メートルとされてきました。近年の測量では、五百メートルを超える数値も示されています。三重にめぐる
濠や堤までふくめると、古墳の最大長は八百四十メートルほどにひろがる。エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに、堺市が「世界三大墳墓」と呼ぶ
[仁徳天皇陵古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_5)、考古学でいう
{大山古墳|だいせんこふん}です。いまは大阪・堺の街並みに、緑深い森のかたまりとして横たわっています。いま見える最も外側の濠は、明治時代に掘り直されたものです。後円部の高さは約35.8メートル、いちばん内側の濠だけでも、幅は七十メートルほどあります。
けれど、築かれた当時、この丘は森ではありませんでした。
表面は
葺石に覆われて白く輝き、三段に築かれた斜面には、円筒
埴輪が列をなして並んでいたと考えられています。もっこで土を運び、足で踏み固め、ひと盛りずつ積み上げる。大手ゼネコンの{大林組|おおばやしぐみ}が、五世紀当時の技術で同じものを築くとして試算したところ、延べ約680万人、工期は十五年八か月に及んだといいます。あくまで現代の試算で、実際の人数や年数は誰にもわかりません。出土した{埴輪|はにわ}には、女性の頭をかたどった人物{埴輪|はにわ}や、水鳥、馬、鹿、家の形のものがあります。
明治五年には、前方部で石を積んだ石室が見つかっています。東西およそ3.9メートル、南北およそ2.4メートルで、三枚の大石で覆われていたと記録されています。
なぜ、これほどの労力が一基の墓に注がれたのか。巨大さそのものが権力を語る言葉だった、という説明が、よく語られます。宮内庁はここを{仁徳天皇陵|にんとくてんのうりょう}に{治定|じじょう}していますが、{被葬者|ひそうしゃ}が誰なのかは確定していません。
白く輝いていた丘が、いまは森に見える。変わったのは丘ではなく、積み重なった時間の厚みのほうなのでしょう。
正式名称:
仁徳天皇陵古墳(大山古墳)
墳形:
前方後円墳(
三段築成)
墳丘長: 約486メートル
濠を含む全長: 約840メートル
所在地:
大阪府堺市堺区大仙町
築造時期: 5世紀中ごろ(古墳時代中期)
関連墳:
茶山古墳・
大安寺山古墳など(
陪塚)
世界遺産:
百舌鳥・古市古墳群(2019年7月登録)
特徴:
葺石・円筒埴輪列・三重の濠
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群(堺市)
Photo: Saigen Jiro /
Wikimedia Commons (CC0)