巨大な墳丘の周りには、小さな墳丘が寄り添うように点在しています。
仁徳天皇陵古墳の周囲には、宮内庁が{陪塚|ばいちょう}として指定する小古墳が十二基あります。
{陪塚|ばいちょう}とは、主墳に付き従う塚という意味です。かつては、周辺にさらに十九基の古墳があったといいます。主墳の濠や堤に接するように築かれたものが多く、主墳と一連の計画で造られたと考えられています。
{永山古墳|ながやまこふん}、{源右衛門山古墳|げんえもんやまこふん}、{孫太夫山古墳|まごだゆうやまこふん}、{竜佐山古墳|りゅうさやまこふん}、{銅亀山古墳|どうがめやまこふん}、{丸保山古墳|まるほやまこふん}、坊主山古墳。このほかに、狐山古墳、茶山古墳、大安寺山古墳、{菰山塚古墳|こもやまづかこふん}、樋の谷古墳が数えられます。並べて読むと、人の名前のような響きの呼び名がまじっています。近世になって、土地の持ち主や地名から呼びならわされた名が、そのまま今に残ったのでしょう。築いた人々が何と呼んでいたのかは、伝わっていません。
{陪塚|ばいちょう}に何が納められたのかは、古墳ごとに違います。{大王|おおきみ}に仕えた人を葬ったとする見方もあれば、主墳に納めきれない武器や道具をまとめて埋めた、倉庫のような塚だとする見方もあります。
形や大きさもまちまちで、{方墳|ほうふん}があり、{円墳|えんぷん}があり、{帆立貝形|ほたてがいがた}の墳もあります。主墳を頂点に、規模と形が階段のように並んでいる。{陪塚|ばいちょう}は、王を中心にした社会の見取り図を、土で写しとったものとも読めます。
それでも、{陪塚|ばいちょう}があるおかげで、主墳との位置関係から、どの墓がどの王墓に付き従っていたのかを考えることができます。いまも、そのいくつかは住宅や道路のあいだに、小さな森として残っています。
巨大な墳丘ばかりを追っていると、通り過ぎてしまう小さな高まり。そのひとつひとつが、{大王|おおきみ}の周りにどんな人や物が集まっていたのかを、黙って語っています。
名称:
仁徳天皇陵古墳の陪塚・中小墳群
所在地: 大阪府堺市堺区
百舌鳥エリア
宮内庁指定の
陪塚: 孫太夫山古墳・竜佐山古墳・狐山古墳・銅亀山古墳・菰山塚古墳・丸保山古墳・永山古墳・源右衛門山古墳・坊主山古墳・茶山古墳・大安寺山古墳・樋の谷古墳(計12基)
墳形: 方墳・帆立貝形墳・円墳など多様
築造時期: 5世紀(古墳時代中期)
世界遺産登録: 2019年7月「
百舌鳥・古市古墳群」
地図:
百舌鳥エリア地図
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群(堺市)
Photo: Hyppolyte de Saint-Rambert /
Wikimedia Commons_hdsr_S5_28.jpg) (CC-BY-4.0)