四角い墳丘が、ひとかたまりになっている一角があります。中心にあるのは、墳丘の長さ約225メートルの
前方後円墳、
[墓山古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_13)。五世紀前半の築造とされ、{古市古墳群|ふるいちこふんぐん}では五番目の大きさです。宮内庁が{応神陵|おうじんりょう}の{陪塚|ばいちょう}として指定している古墳でもあり、{陪塚|ばいちょう}という言葉が想像させるよりも、ずっと大きな墓です。その周りに、野中古墳、{西墓山古墳|にしはかやまこふん}、{向墓山古墳|むこうはかやまこふん}、{西馬塚古墳|にしうまづかこふん}、{浄元寺山古墳|じょうがんじやまこふん}と、
方墳が寄り集まっています。
野中古墳は一辺37メートルの{方墳|ほうふん}で、墓山古墳の後円部の北側に寄り添っています。昭和三十九年の発掘で、短甲と呼ばれる鉄のよろいが十一領、かぶとが十一個、そして刀剣や{鉄|てつ}の{鏃|やじり}が{大量|たいりょう}に見つかりました。出土品はおよそ二千点にのぼり、大阪大学に保管されて、平成二十七年に国の重要文化財に指定されました。
さらに小さな、一辺18メートルの{西墓山古墳|にしはかやまこふん}からは、刀剣が二百点あまり、鉄の農具や工具が二千点以上、まとまって出ています。人を葬る施設は見つかっておらず、鉄の道具をしまっておく倉庫のような塚だった、と見る研究者もいます。この塚はいまは姿を消し、出土した鉄の道具だけが、その存在を伝えています。
同じ形のよろいが十一組。二千点を超える鉄の農具。それだけの鉄を一か所に集め、必要に応じて分け与える仕組みが、王のもとにあったことがうかがえます。四角い墓のかたまりは、その蓄えを土で写しとった姿にも見えてきます。
鉄は、戦にも畑にも使われました。短甲をつくる工人は、鉄の板を一枚ずつ革ひもで綴り合わせ、体の線に沿うように仕立てたはずです。同じ鉄の工房から、鍬や鋤の刃先も生まれていたのでしょう。
円い丘の王が握っていたのは、力と食べ物、両方の鍵だったのかもしれません。
名称:
墓山古墳・
野中古墳・
向墓山古墳・
西墓山古墳・
西馬塚古墳・
浄元寺山古墳
所在地: 大阪府羽曳野市・藤井寺市(
古市エリア)
墓山古墳 墳形:
前方後円墳(墳丘長 約225m、5世紀前半、古市で5番目の規模)
周辺墳形:
方墳(向墓山・西馬塚・浄元寺山・野中など)
野中古墳 出土品: 鉄製の短甲11領・冑11点・刀剣・鏃など約2000点(重要文化財)
西墓山古墳 出土品: 刀剣や鉄の農工具が多数
位置づけ:
応神天皇陵の周辺に集まる
陪塚群(墓山古墳は宮内庁が陪塚として指定)
世界遺産:
百舌鳥・古市古墳群(2019年7月登録)の構成資産
地図:
百舌鳥・古市古墳群マップ
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
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