明治四十五年。神社に建てる石碑の材料を探していた人が、{津堂|つどう}の丘の上で、石の板を掘り出しました。それが、思いもよらない発見のきっかけになります。掘り進めるうちに現れたのは、{竪穴式石室|たてあなしきせきしつ}と、巨大な{長持形石棺|ながもちがたせっかん}でした。蓋には縄をかけるための突起が彫り出され、{鏡や鏃といった|かがみややじりといった}副葬品も、数多く見つかっています。石棺には、兵庫県の{竜山石|たつやまいし}が使われたとされ、遠く離れた土地から石を運んで仕立てたものと考えられています。
[津堂城山古墳](https://woud.io/kofun/ja/kofun_17)は、{藤井寺市|ふじいでらし}にある墳丘長およそ210メートル、後円部の高さ約17メートルの
前方後円墳で、四世紀の後半の築造とされます。{古市古墳群|ふるいちこふんぐん}のなかでは最も早い時期の大型墳で、{古市|ふるいち}の{大王|おおきみ}墓の先駆けとする見方もあれば、そこまでは言い切れないとする見方もあります。
二重の濠と堤をめぐらせていることも、この古墳の特徴です。昭和の発掘では、周濠の島状の施設から、三体の水鳥形
埴輪が出土しました。羽を休める水鳥の姿で、国の重要文化財に指定されています。水辺の鳥は、亡き人の魂を運ぶものと考えられたのかもしれません。家や盾、{衣蓋|きぬがさ}、{靫|ゆき}の{形|かたち}をした{埴輪|はにわ}も、ここで見つかっています。
この丘は、室町時代には{小山城|こやまじょう}として使われ、墳丘の一部が削られました。古墳の上に城が重なる。土を盛る技術が、千年を隔てて、同じ場所で二度、目的を変えて使われたのです。
現在も、後円部の頂上は宮内庁が{陵墓|りょうぼ}参考地として管理し、金網で囲まれています。それでも、周囲の濠や堤は、史跡として整えられ、古墳の輪郭をたどることができます。
石碑のために掘った人が、石碑よりずっと古い石の棺にたどりつく。そんなことの起こる土地から、{古市|ふるいち}の物語は始まっています。
名称:
津堂城山古墳
所在地: 大阪府藤井寺市津堂
地図
墳形:
前方後円墳
墳丘長: 約210メートル
築造時期: 4世紀後半(
古市古墳群で最も早い時期の大型墳)
出土遺物: 長持形石棺、
水鳥形埴輪(重要文化財)ほか
後世の改変: 室町時代に小山城として利用
管理: 後円部の頂上は宮内庁が陵墓参考地として管理
世界遺産:
百舌鳥・古市古墳群(2019年登録)構成資産
公式サイト:
百舌鳥・古市古墳群
Photo: Saigen Jiro /
Wikimedia Commons (CC0)