軍が引いた道が観光の道になるまで

軍が引いた道が観光の道になるまで
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昭和十六年、一九四一年。{陸軍航空本部|りくぐんこうくうほんぶ}は、{畳平|たたみだいら}に航空機エンジンの高地実験施設をつくる計画を立て、軍用の道の建設に着手した。 計画の道幅は、三メートル。{濃飛|のうひ}バスの初代社長、上嶋清一は、戦争が終わったあとの観光に使える道を見すえて、広げることを求めたという。増えた費用の差額、八万円は、自分で負担した。道幅は三・六メートルになった。 昭和十七年の秋、道は完成する。{畳平|たたみだいら}には{乗鞍航空実験所|のりくらこうくうじっけんじょ}が置かれた。だが、軍用に使われないまま、戦争は終わる。戦後、その施設は国鉄の{乗鞍山荘|のりくらさんそう}になり、二〇〇七年に閉鎖、二〇〇八年に解体された。 道は、観光の道へ変わった。{平湯峠|ひらゆとうげ}の標高千六百八十四メートルから、{畳平|たたみだいら}の二千七百二メートルへ。一キロメートルあまりの高さを、十四・四キロメートルで上る。有料道路としての供用が始まったのは、昭和四十八年、一九七三年七月一日。岐阜県側のこの道を、乗鞍スカイラインと呼ぶ。 二〇〇三年に有料の期間が終わり、その年の五月十五日から、マイカーは通れなくなった。通れるのは、バス、タクシー、自転車。 二〇二二年九月には、{平湯峠|ひらゆとうげ}の近くで大規模な崩落が起きて通行止めとなり、仮設の道で再開した。 戦争のために広げられた三・六メートルの道を、バスと自転車が、今も{畳平|たたみだいら}へ上っている。 道のあゆみ - 1941年(昭和16年):陸軍航空本部が畳平に航空機エンジンの高地実験施設をつくる計画を立て、軍用の道の建設に着手した。 - 1942年(昭和17年):道が完成。計画の道幅3mを、濃飛バス初代社長の上嶋清一が私費で差額を負担して3.6mに広げたと伝わる。畳平には乗鞍航空実験所が置かれたが、軍用に使われないまま終戦を迎えた。 - 戦後、その施設は国鉄の乗鞍山荘となり、2007年に閉鎖、2008年に解体された。 - 1973年(昭和48年)7月1日:有料道路としての供用が始まる。岐阜県側のこの道を乗鞍スカイラインと呼ぶ。 - 2003年:有料の期間が終わり、5月15日からマイカーの通行ができなくなった。通れるのはバス、タクシー、自転車など。 - 2022年9月:平湯峠の近くで大規模な崩落が起き、通行止めとなった。仮設の道で再開した。 この道の数字 - 平湯峠(標高1684m)から畳平(標高2702m)まで、延長14.4km。 つづきを読む - 道の終点、畳平の自然は 森林限界の先で - 山の上の観測所は 太陽を追った小屋

Supervised by: 太刀川英輔.

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