いたすけ古墳と善右ヱ門山古墳 ― 市民が守った古墳

いたすけ古墳と善右ヱ門山古墳 ― 市民が守った古墳
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昭和三十年の秋、堺の住宅地のそばで、古墳の木が切られはじめました。いたすけ古墳の濠に橋がかけられ、墳丘の土を採って宅地にする工事が動きだしたのです。戦後の復興とともに宅地開発が急ぎ足で進んでいた時代で、{百舌鳥|もず}では多くの小さな塚が、そうして姿を消していきました。 この工事をとめたのは、行政でも学者でもなく、近所に暮らす人たちの声でした。古墳を惜しむ市民の声が広がり、伐採は途中で中断されます。まだ文化財保護法ができて数年で、古墳を守る仕組みは整っていませんでした。翌年の五月には、国の史跡に指定されました。市民の力で古墳が守られた先駆けの例として、いまも語られることがあります。 そのとき濠にかけられた橋は、いまも一部が残っています。工事の足がかりになるはずだったものが、守られた古墳のそばに、壊されかけた記憶として横たわっているのです。 墳丘の長さはおよそ146メートル。五世紀前半に築かれた前方後円墳で、前方部が幅広く、短く張り出した姿が特徴です。もし工事が最後まで進んでいたなら、この独特の形は、記録のなかにしか残らなかったでしょう。すぐ隣には、一辺28メートルの{方墳|ほうふん}、{善右ヱ門山古墳|ぜんえもんやまこふん}が寄り添います。いたすけ古墳の{外堤|がいてい}に接して築かれていることから、付属する古墳と考えられています。 {百舌鳥|もず}・{古市古墳群|ふるいちこふんぐん}は、二〇一九年に世界遺産となりました。その価値を支えているのは、巨大な墳丘だけではありません。小さな古墳を壊さずに残してきた、人々の選択の積み重ねでもあります。 住宅に囲まれた小さな森と水辺には、タヌキが住みついています。人の暮らしの隣で、守られた古墳は、小さな生きものたちの居場所にもなりました。橋の向こうへ入りこもうとした工事は引き返し、いまそこを行き来するのは、タヌキたちです。 古墳名: いたすけ古墳(前方後円墳)/ 善右ヱ門山古墳(方墳) 所在地: 大阪府堺市北区百舌鳥本町 墳丘規模: いたすけ古墳 全長約146m/善右ヱ門山古墳 一辺約28m 築造時期: 古墳時代中期(5世紀前半) 登録区分: 百舌鳥・古市古墳群(2019年 ユネスコ世界文化遺産) 特記事項: 1955年の保存運動で破壊をまぬがれた、市民による古墳保存の先駆け/墳丘に棲むタヌキでも知られる 地図: 百舌鳥古墳群(堺市) 公式サイト/Official Site: 堺市 百舌鳥・古市古墳群 Photo: Hyppolyte de Saint-Rambert / Wikimedia Commons_hdsr_S5_m02.jpg) (CC-BY-4.0)

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