いま見上げているこの楼閣は、オランダの建物ではありません。オランダのものは、あなたの足元にあります。 階段を上がる前に、一度基壇の部分を見てください。色の違う、不揃いな石とれんがの層があります。それが普羅民遮城、プロヴィンシアの残りです。…
いま見上げているこの楼閣は、オランダの建物ではありません。オランダのものは、あなたの足元にあります。
階段を上がる前に、一度基壇の部分を見てください。色の違う、不揃いな石とれんがの層があります。それが普羅民遮城、プロヴィンシアの残りです。
オランダ人がここに城を築いたのは、内海の向こう岸を押さえるためでした。安平の城とここの間は、船で渡る距離です。二つの城で、水面を挟みこむ。
一六六二年、鄭成功がここを接収し、承天府と名づけました。島を治める役所にしたのです。その後、清の時代になって建物は荒れ、人々はその上に、自分たちの建物を建てはじめます。海の神の廟。学問の神の楼。今見えているのは、そちらです。
壊さなかったのではなく、壊す手間をかけなかった。使える基礎の上に、次の時代が載っていった。それが台南という街のやり方です。
庭には、石の亀が九つ並んでいます。背中に石碑を背負っている。清朝の皇帝が、台湾の反乱を鎮めた記念に送ってきたものです。荷揚げの時に一つ海に落とした、という話が伝わっています。
城、役所、廟、学校、公園。この地面は、四百年で五回、呼び名を変えています。