この道の幅は、船の幅です。 神農街に入ったら、建物を一軒見てください。間口が狭く、奥に長い。道に面した間口に税がかかったからだとも言われますが、もっと単純な理由もあります。前が水辺だったからです。荷を降ろす場所は狭いほうがいい。倉庫は奥に伸ばせばいい。…
この道の幅は、船の幅です。
神農街に入ったら、建物を一軒見てください。間口が狭く、奥に長い。道に面した間口に税がかかったからだとも言われますが、もっと単純な理由もあります。前が水辺だったからです。荷を降ろす場所は狭いほうがいい。倉庫は奥に伸ばせばいい。
清の時代、この一帯には五本の水路が入り込んでいました。五條港と呼ばれます。内海が浅くなって大きな船が入れなくなったあと、小さな船で街の奥まで直接荷を運ぶやり方に切り替わった。
水路ごとに、扱う荷と、仕切る同郷団体が違いました。砂糖、布、薬種、材木。郊と呼ばれる卸売の組合が、それぞれの廟を持ち、自分の港を守っていた。
水仙宮の市場に入ってみてください。ここは、その卸売の組合が祭っていた廟です。今は建物の中に魚と野菜の店が入っていて、廟と市場の境目がありません。
水路はすべて埋められました。でも、埋めたあとに道を通したので、形は残っています。
いま歩いているこの線は、かつて水だったところです。夕方になると、この道だけ風が通ります。