このダムの下に、遠くまで広がっている平野を見てください。一世紀前、この土地の大半は、雨を待つしかない乾いた土地でした。 一九二〇年から十年かけて、八田與一という技師がこのダムと用水路をつくりました。嘉南大圳。水路の長さは一万キロを超え、十万ヘクタール規模の耕地に水が届くようになりました。…
このダムの下に、遠くまで広がっている平野を見てください。一世紀前、この土地の大半は、雨を待つしかない乾いた土地でした。
一九二〇年から十年かけて、八田與一という技師がこのダムと用水路をつくりました。嘉南大圳。水路の長さは一万キロを超え、十万ヘクタール規模の耕地に水が届くようになりました。
しかし、水は全員には届きませんでした。
量が足りないので、三年輪作という方式がとられます。土地を三つに分け、今年は米、来年は砂糖きび、再来年は水のいらない作物。作付けは農家が選ぶのではなく、給水の順番で決まりました。
役所の決めた順番で、何を植えるかが決まる。しかも、建設費の一部は農家が背負いました。
水を得たことは、確かにこの平野を変えました。同時に、作を選ぶ自由を役所に渡してもいます。どちらか一方だけを語ると、このダムの話は完成しません。
八田の像は、座っています。立像ではない。現場で考えこんでいる姿で、ダムのほうを見ています。