この建物は、もともと人の住まいでした。 境内に入ったら、地面の傾斜に注意してください。奥へ進むにつれて、少しずつ上っていきます。廟のためにつくられた造成ではなく、屋敷の座敷きの名残です。 住んでいたのは、寧靖王朱術桂。明の皇室の一族で、大陸を追われて台湾に渡ってきた人です。鄭氏の政権は、彼を担ぐことで、自分たちが明の正…
この建物は、もともと人の住まいでした。
境内に入ったら、地面の傾斜に注意してください。奥へ進むにつれて、少しずつ上っていきます。廟のためにつくられた造成ではなく、屋敷の座敷きの名残です。
住んでいたのは、寧靖王朱術桂。明の皇室の一族で、大陸を追われて台湾に渡ってきた人です。鄭氏の政権は、彼を担ぐことで、自分たちが明の正統を継いでいると示そうとしました。
一六八三年、清の軍が澎湖で鄭氏の水軍を破ります。 降伏が決まったとき、寧靖王はこの屋敷で自ら命を絶ちました。五人の妃が先に同じ道を選んでいます。南にある五妃廟に、その人たちが祭られています。
接収した清の将軍施琅は、この屋敷を壊さず、媽祖を祭る廟に書き換えました。自分の渡海を媽祖が守ったと上申し、朝廷の公認を得る。台湾で最初の、国が祭る媽祖廟です。
王が死んだ場所に、海の女神を置く。建物を壊さずに意味だけを入れ替えるのは、もっとも安く、もっとも確実な支配の方法でした。
いま香をあげている人たちの足元は、王の座敷の高さです。