ここに神として祭られている人は、この島で一年と少ししか生きていません。 鄭成功は、オランダを退けた翌年に、三十八歳で亡くなりました。彼の中で台湾は、住む場所ではなく、大陸を取り戻すための足場でした。 その人が、どうやってこの場所の神になったのか。…
ここに神として祭られている人は、この島で一年と少ししか生きていません。
鄭成功は、オランダを退けた翌年に、三十八歳で亡くなりました。彼の中で台湾は、住む場所ではなく、大陸を取り戻すための足場でした。
その人が、どうやってこの場所の神になったのか。
はじめは、名前を伸ばせない廟でした。清にとって鄭氏は敵だからです。人々は「開山王」、山を開いた王とだけ呼んで祭っていました。誰のことかは、口に出さない。
一八七四年、沈葆楨が朝廷に上申して、正式な祠になります。敵だった人物が、二百年後に忠臣として認められた。
日本の時代には、開山神社になりました。母が平戸出身だったことが、都合よく使われたのです。戦後には取り壊され、今の建物に建て替えられました。だからここは、史跡の割に新しい。
一人の人間が、反逆者、忠臣、神、民族の英雄と、呼ばれ方を四度変えられています。変えたのは、そのつどの権力です。
境内は静かです。この静けさは、何度も書き換えられたあとの静けさです。