この駅のあたりは、清の時代の終わりに鉄道が通るまで、台地の中の小さな町でした。 台湾の鉄道は、清の時代、台湾巡撫の劉銘伝(りゅう めいでん)が敷いたのが始まりです。台北から新竹へ向かうその線路が、この桃仔園を通りました。…
この駅のあたりは、清の時代の終わりに鉄道が通るまで、台地の中の小さな町でした。
台湾の鉄道は、清の時代、台湾巡撫の劉銘伝(りゅう めいでん)が敷いたのが始まりです。台北から新竹へ向かうその線路が、この桃仔園を通りました。
日本統治期に、台湾を南北に貫く縦貫線が整えられると、桃園は、台北と中部・南部を結ぶ線の上に乗りました。
戦後、とくに一九六〇年代から七〇年代にかけて、桃園には多くの工場が建てられました。台北に近く、土地が広く、港にも空港にも近い。電子部品、自動車、繊維。台地の田畑が、工業団地へと変わっていきました。
そして工場は、人を呼びました。台湾の南部や東部から若者が働きに来て、のちには東南アジアからも人々がやって来るようになりました。
駅前の通りには、古い商店と新しいビルが混ざり合っています。
線路が通ったその日から、この街は、人を迎える側に立ち続けています。
Photo: 玄史生 /
Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)