この町の警察署の前には、一九七七年の秋、選挙の夜に多くの人が集まりました。 当時の台湾は戒厳令の下にあり、政治は国民党がほぼ独占していました。その年の地方選挙で、桃園の県長の座を争ったのが、国民党を離れて立候補した許信良(きょ しんりょう)でした。…
この町の警察署の前には、一九七七年の秋、選挙の夜に多くの人が集まりました。
当時の台湾は戒厳令の下にあり、政治は国民党がほぼ独占していました。その年の地方選挙で、桃園の県長の座を争ったのが、国民党を離れて立候補した許信良(きょ しんりょう)でした。
投票の日、中壢の投票所で、票が不正に扱われたという疑いが広まりました。怒った住民が警察署を取り囲み、やがて騒ぎは大きくなり、建物に火が放たれました。これが中壢事件です。
選挙の結果、許信良は当選しました。この事件は、国民党以外の政治勢力、いわゆる「党外(とうがい)」が力をつけていく転機のひとつとされ、のちの民主化へ続く流れの始まりの一つとして語られることが多い出来事です。
一方で、暴力を伴った混乱として捉える見方もあり、当局の対応をめぐっても、評価は一つではありません。
台湾で総統が有権者の直接選挙で選ばれるようになったのは、それから十九年後、一九九六年のことでした。
この町の人々が、一枚の票の行方にこだわった夜が、その長い流れの入り口のひとつでした。
Photo: 寺人孟子 /
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