赤レンガ倉庫が関東大震災で壊れなかった秘密。それは、煉瓦の壁の内側に隠された鉄骨の骨格にあります。大さん橋の西側、海沿いに深い赤茶色のふたつの建物が並んでいます。横浜赤レンガ倉庫です。1号館は1913年、2号館はその2年前の1911年に完成しました。設計を手がけたのは、大蔵省の建築技師・妻木頼黄。彼は当時の日本では極め…
赤レンガ倉庫が関東大震災で壊れなかった秘密。それは、煉瓦の壁の内側に隠された鉄骨の骨格にあります。
大さん橋の西側、海沿いに深い赤茶色のふたつの建物が並んでいます。横浜赤レンガ倉庫です。1号館は1913年、2号館はその2年前の1911年に完成しました。設計を手がけたのは、大蔵省の建築技師・妻木頼黄。彼は当時の日本では極めて珍しい手法を採用しました。煉瓦造の外壁の内部に鉄骨の梁と柱を組み込み、建物全体をしなやかに支える構造です。さらに、壁と壁のあいだに鉄筋を通して補強し、煉瓦同士が地震の揺れでバラバラに崩れることを防いだのです。いわば、硬い煉瓦の鎧の内側に、柔軟な鉄の骨格を忍ばせた二重構造。これは、のちの耐震建築の思想を先取りするものでした。1923年9月1日、関東大震災が横浜を襲ったとき、周囲の建物が次々と倒壊するなか、2号館はほぼ無傷で残りました。1号館は残念ながら半壊し、現在のような短い姿になりましたが、それでも全壊は免れています。妻木の、当時としてはとても先を見た考えが、煉瓦の壁を守り抜いたのです。しかし時代の流れとともに倉庫としての役割を終え、長い眠りについたこの建物が再び目を覚ましたのは2002年のこと。商業施設と文化施設として生まれ変わり、横浜の新たなシンボルになりました。壊滅的な災害を生き延びた建物が、今度は人々の笑顔が集まる場所として第二の人生を歩んでいる。あの赤い壁には、百年を超える横浜の破壊と再生の記憶が、煉瓦の一つひとつに刻まれています。今、ちょうど陽の光があの壁を照らしていたら、その温かな赤色をよく目に焼き付けてください。あの色は、何度でも立ち上がるこの街の意志そのものです。
竣工: 1号館 1913年(大正2年)、2号館 1911年(明治44年)
設計: 妻木頼黄(大蔵省臨時建築部)
構造: 煉瓦造+鉄骨補強(鉄筋補強併用)
用途変遷: 保税倉庫→2002年に商業・文化施設として再生
所在地: 横浜市中区新港一丁目
指定: 横浜市認定歴史的建造物(1号館・2号館とも、2002年)、近代化産業遺産(2007年)