マリンタワーから南西、横浜公園の中に横浜スタジアムの白い屋根があります。あの一帯はいま、緑のフィールドが広がる市民の球場ですが、かつて日本人は足を踏み入れることすらできませんでした。1860年代、開港間もない横浜に外国人居留地が設けられました。その中に造られたのが「彼我庭園」と呼ばれる空間です。名前こそ「彼と我」を併記…
マリンタワーから南西、横浜公園の中に横浜スタジアムの白い屋根があります。あの一帯はいま、緑のフィールドが広がる市民の球場ですが、かつて日本人は足を踏み入れることすらできませんでした。1860年代、開港間もない横浜に
外国人居留地が設けられました。その中に造られたのが「彼我庭園」と呼ばれる空間です。名前こそ「彼と我」を併記していますが、実態は違いました。居留地側の区画は外国人専用で、日本人が自由に立ち入れる場所ではなかったのです。クリケットが行われ、西洋式の庭園が整えられたその風景は、開港がもたらした華やかさの裏にある不平等をそのまま映し出していました。時代は移りました。
関東大震災では壊滅的な被害を受けながらも公園として復興を遂げます。しかし第二次世界大戦後、今度は連合国軍に取り上げられ、再び市民の手から離れてしまいます。横浜の人々がこの場所を本当の意味で取り戻したのは、1978年に横浜スタジアムが完成したときでした。市民の募金や地元企業の出資によって建設されたこの球場は、日本初の多目的スタジアムとして誕生しました。立入禁止の外国人クラブから、取り上げられた軍用地を経て、三万人の歓声が響く市民の球場へ。百数十年のあいだに、あの同じ土地が何度も持ち主を変え、何度も生まれ変わってきたのです。今夜、もしナイターの照明が灯っていたら、それは横浜という街が幾度もの喪失から立ち上がってきた、その象徴の光だと思って眺めてみてください。開港の光と影を、あの白い屋根は静かに記憶しています。
所在地: 横浜市中区横浜公園
前身: 彼我公園(外国人居留地遊興施設)
居留地設置: 1860年代
関東大震災被災: 1923年
戦後接収: 連合国軍による占領期間
横浜スタジアム竣工: 1978年
収容人数: 約34,000人
特記: 日本初の多目的スタジアム、市民出資により建設