横浜中華街がこの場所に生まれたのは、港町・横浜が世界に開かれたとき、異なることばと文化をつなぐ人びとが必要とされたからです。1859年、横浜港が開かれると、欧米の商人たちがこの地に集まりました。しかし彼らは日本語を話せず、日本の商人たちも英語やフランス語に通じているとは限りませんでした。そこで重要な役割を果たしたのが、…
横浜中華街がこの場所に生まれたのは、港町・横浜が世界に開かれたとき、異なることばと文化をつなぐ人びとが必要とされたからです。1859年、
横浜港が開かれると、欧米の商人たちがこの地に集まりました。しかし彼らは日本語を話せず、日本の商人たちも英語やフランス語に通じているとは限りませんでした。そこで重要な役割を果たしたのが、広東や上海などから渡ってきた中国人たちです。彼らは複数の言語を操り、貿易の実務を支え、異なる文化のあいだを取り持つ橋渡し役として活躍しました。つまり、この街の原点は、いま私たちが思い浮かべる料理店の集まる街というよりも、ことばと商いが交差する場にあったのです。もちろん、この街の歩みは平坦ではありませんでした。1923年の関東大震災では大きな被害を受け、多くの命と暮らしが失われます。それでも人びとは瓦礫の中から立ち上がり、街を再建しました。さらに1945年の横浜大空襲でも、街は再び深い傷を負います。それでもコミュニティの力によって、この場所はもう一度息を吹き返しました。そうして中華街は、壊滅と再生を幾度も繰り返しながら、横浜を代表する風景のひとつへと育っていきます。関帝廟の鮮やかな装飾、朱色の門、通りに立ちのぼる湯気やにぎわい。その華やかな景観の奥には、百六十年以上にわたる異文化の対話と、何度でも街を立て直してきた人びとの営みが息づいています。マリンタワーの南西、ビルの合間から覗く色とりどりの看板や門が連なる一帯。ただの観光地ではありません。そこには、海を渡ってきた人びとがことばをつなぎ、商いを支え、横浜という港町の個性を形づくってきた歴史が、いまも脈打っているのです。
起源: 1859年(横浜開港期)
所在地: 横浜市中区山下町
面積: 約0.2平方キロメートル
店舗数: 約600店舗
主要建造物: 関帝廟、媽祖廟、善隣門ほか
規模: 日本最大級の
中華街