港の見える丘公園 ― なぜ見張りの場になった?

港の見える丘公園 ― なぜ見張りの場になった?

あの丘が見張りの場になったのは、港を一望できる地形にあったからです。丘の上からは、どの船が入り、どの船が出ていくのかを把握しやすく、開港まもない横浜では、非常に重要な監視地点だったのです。1862年、横浜が開港してまもない頃、この丘にはイギリス軍が陣を構えました。表向きには、開港場に暮らす自国民を守るためとされていまし…

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あの丘が見張りの場になったのは、港を一望できる地形にあったからです。丘の上からは、どの船が入り、どの船が出ていくのかを把握しやすく、開港まもない横浜では、非常に重要な監視地点だったのです。1862年、横浜が開港してまもない頃、この丘にはイギリス軍が陣を構えました。表向きには、開港場に暮らす自国民を守るためとされていましたが、その背景には、港を見下ろすこの場所の戦略的な価値がありました。港の動きを見渡せるこの丘は、軍事的にきわめて優れた拠点だったのです。その後、フランス軍も隣接する区画に軍の拠点を設けました。開港期の横浜は、貿易の利益をめぐって列強がせめぎ合う緊張の最前線でもありました。美しい港の風景の裏側には、国際政治の冷徹な計算が重なっていたのです。時代が移り、第二次世界大戦が終わると、今度はアメリカ軍がこの地を取り上げました。横浜の多くの場所がそうであったように、この丘もまた長いあいだ、市民が自由に立ち入ることのできない場所となります。そして1962年、港の見える丘公園として市民に開かれました。開港からおよそ一世紀を経て、ようやくこの丘は兵士たちの手を離れ、誰もが風を感じ、海を眺められる場所へと生まれ変わったのです。今、展望フロアからあの丘を見てみてください。季節ごとにバラが咲き、人びとが散歩を楽しむ、穏やかな風景が広がっているかもしれません。けれどその静かな丘には、百年を超える緊張と解放の記憶が眠っています。横浜という街がたどってきた歴史の一端が、あの丘の地層にも、確かに刻まれているのです。 所在地: 横浜市中区山手町114 開園: 1962年(昭和37年) 面積: 約5.7ヘクタール 歴史: 1862年〜 英国軍駐屯、その後仏軍駐屯 戦後接収: 米軍による接収を経て返還 指定: 横浜市管理公園

https://woud.io/marinetower/ja/marinetower_18