鎌倉の深沢(ふかさわ)のあたりには、かつて大きな湖があったと伝えられています。いまは家々と畑が広がる、ゆるやかな谷です。 その湖に、五つの頭を持つ龍、五頭龍(ごずりゅう)が棲んでいました。龍は嵐を呼び、山を崩し、川をあふれさせて、村々を苦しめました。子どもまでさらわれた村は「子死越(こしごえ)」と呼ばれ、それがいまの腰…
鎌倉の深沢(ふかさわ)のあたりには、かつて大きな湖があったと伝えられています。いまは家々と畑が広がる、ゆるやかな谷です。
その湖に、五つの頭を持つ龍、五頭龍(ごずりゅう)が棲んでいました。龍は嵐を呼び、山を崩し、川をあふれさせて、村々を苦しめました。子どもまでさらわれた村は「子死越(こしごえ)」と呼ばれ、それがいまの腰越という地名の由来だとも伝えられています。
六世紀のある日、海が大きく揺れ、雲の中から天女が降り立ちます。同時に、波の下から一つの島が湧き上がりました。天女は弁財天、島は江の島です。
龍は天女に心を奪われ、夫婦になりたいと願い出ました。天女の答えは、人を苦しめる者とは結ばれない、というものでした。
龍は、悪さをやめると誓います。それからは嵐を鎮め、日照りの年には雨を降らせて、村を守るようになったといいます。
この縁起は、島で参詣者を迎えた坊の人々によって語られ、書き写されてきました。潮の引いた砂の道を渡ってきた人々は、この話を聞き、それぞれの村へ帰っていきました。龍の話が相模の海沿いに広く残っているのは、そうして人から人へ運ばれてきたからです。
心を入れ替えた龍が、その後どこへ行ったのか。その答えは、島のいちばん奥の社と、海を渡った対岸の山に残されています。龍の道は、島の中と、島の外の両方へ続いています。