島の頂上近くに広がる庭園は、明治の中ごろ、ひとりのイギリス人商人が手に入れた土地から始まりました。サムエル・コッキング。横浜の居留地で貿易を営んでいた人物です。 彼は横浜からこの島へ通い、頂上近くに庭と、大きな温室をつくりました。温室では、日本では珍しい南の国の植物が育てられていたといいます。…
島の頂上近くに広がる庭園は、明治の中ごろ、ひとりのイギリス人商人が手に入れた土地から始まりました。サムエル・コッキング。横浜の居留地で貿易を営んでいた人物です。
彼は横浜からこの島へ通い、頂上近くに庭と、大きな温室をつくりました。温室では、日本では珍しい南の国の植物が育てられていたといいます。
なぜ、この島だったのでしょう。海に囲まれた島は、冬でも比較的暖かく、霜が降りにくい。船で運ばれてきた南の植物を育てるのに、都合のよい土地でした。
温室を暖めるには、冬のあいだ火をたき続けなければなりません。地下には、ボイラーの熱を送るための煉瓦の設備がありました。
一九二三年の関東大震災で、温室は壊れてしまいます。けれど、地下の煉瓦の構造は残りました。いま庭の一角に残る遺構が、それです。
煉瓦の一つひとつは、百年以上前に、誰かが手で積んだものです。横浜の港に着いた南国の苗と、この島まで運ばれた煉瓦。海を越えてきたものたちが、この庭の土台になっています。
庭には、いまも南国の木々が葉を広げています。その木々のあいだを抜けた先に、島でいちばん高い塔が立っています。