東の海岸線の先に、海へ突き出した小さな岬があります。稲村ヶ崎です。その向こうが、鎌倉です。 一三三三年、上野国(こうずけのくに)で兵を挙げた新田義貞(にった よしさだ)の軍勢は、鎌倉幕府を攻めようと、この海岸まで南下してきました。けれど鎌倉は、三方を山に、一方を海に囲まれた守りの堅い町です。山の切通しは固められ、海沿い…
東の海岸線の先に、海へ突き出した小さな岬があります。稲村ヶ崎です。その向こうが、鎌倉です。
一三三三年、上野国(こうずけのくに)で兵を挙げた新田義貞(にった よしさだ)の軍勢は、鎌倉幕府を攻めようと、この海岸まで南下してきました。けれど鎌倉は、三方を山に、一方を海に囲まれた守りの堅い町です。山の切通しは固められ、海沿いの道は崖が迫って、軍勢が通れません。
『太平記』は、このとき義貞が岬に立ち、黄金の太刀を海に投げ入れて祈ったと伝えています。すると潮が大きく引き、干上がった浜を通って、軍勢は鎌倉へなだれ込んだ、と。
物語としては劇的ですが、潮の満ち引きを読み、潮がいちばん引く時を狙ったのではないか、という見方もあります。
こうして鎌倉幕府は滅び、百五十年近く続いた武士の都の時代が終わりました。北関東から何日もかけて南下してきた軍勢が、最後に越えたのが、この岬の下の浜だったのです。
岬の根元では浜が途切れ、山がそのまま海に落ち込んでいます。
岬の向こうには、この物語の舞台となった都が広がっています。海沿いの道は、稲村ヶ崎を越えて、由比ヶ浜へ続いています。