潮が引いた朝、島と陸のあいだに、濡れた砂の道が一本、細く浮かび上がりました。島の両側から回り込んだ波が、島の陰に少しずつ砂を置いていく。そうしてできた道です。 江戸の参詣者は、この道が現れる刻限を片瀬の宿で尋ね、草鞋のまま渡りました。潮が満ちはじめると、道の両端から水が寄ってくる。渡りきれずに舟を頼んだ人も、人足の背に…
潮が引いた朝、島と陸のあいだに、濡れた砂の道が一本、細く浮かび上がりました。島の両側から回り込んだ波が、島の陰に少しずつ砂を置いていく。そうしてできた道です。
江戸の参詣者は、この道が現れる刻限を片瀬の宿で尋ね、草鞋のまま渡りました。潮が満ちはじめると、道の両端から水が寄ってくる。渡りきれずに舟を頼んだ人も、人足の背に負われて渡った人もいました。
島に伝わる江島縁起(えのしまえんぎ)は、この島の生まれ方をこう伝えています。六世紀、海の底が鳴り、天女が降り立つとともに、波の下から島が湧き上がった、と。
実際の江の島は、もとは陸とつながっていた岩の高まりが、長い時間をかけて波に削られ、切り離されたものと考えられています。周りはおよそ四キロ。その岩が、一九二三年の関東大震災で、一メートルほど持ち上がりました。島の裏手に広がる平らな岩棚は、そのとき海の上に出た、かつての海底です。
縁起が語る「湧き上がる島」を、この島は、ほんとうに一度やってみせたことになります。
いま、砂の道の上には橋が架かっています。潮の刻限を気にする人は、もういません。それでも、草鞋で渡った人々が目指した女神の社と、この海に棲んでいたという龍の話は、橋の向こうに続いています。道は、まだ島の中へ延びています。