整然と伸びる一本の道。小網代の森を行く私たちは、人工の見事なボードウオークの道を進みます。なぜ、どろだらけの土の上を、そのまま歩かないのでしょう。その答えにこそ、この森を守るための静かな知恵が隠れています。…
整然と伸びる一本の道。
小網代の森を行く私たちは、人工の見事なボードウオークの道を進みます。なぜ、どろだらけの土の上を、そのまま歩かないのでしょう。その答えにこそ、この森を守るための静かな知恵が隠れています。
湿地の地面は、見た目以上に柔らかく、水をたっぷりと含んでいます。そこには、たっぷりと水や栄養を含んだ泥や、芽を出したばかりの小さな植物、そして土の中で暮らす無数の生きものたちがいます。もし人の足が直接その大地を踏みしめれば、柔らかな土は固まり、水の通り道はふさがれ、そっと根を張ろうとしていた命は、知らないうちに途切れてしまうかもしれません。
木道は、そんな繊細な大地を、できるだけ攪乱しないために生まれました。地面から少し浮かせて道を渡すことで、人が歩いても土は踏み固められず、ゆっくりと流れていきます。浦の川の源流から湿地、そして海へと続く水の流れ——その一連のつながりを傷つけないための、いわば「森と人の約束」なのです。
小網代の湿原では、実は、話はもうすこし込み入っています。小網代の湿原は、昔からあった原始の湿原が保全されているわけではありません。1960年代まで、小網代の谷の低地は全域が棚田の世界でした。1970年代をむかえると、その棚田は次々に仕事をやめ、将来の大開発のために市街地に指定されていったのです。首都圏近郊緑地保全法という国土交通省の法律によって小網代の谷の保全が決まったのは2005年。水田作業が消滅してすでに40年を経過した2005年の小網代の谷の低地は、全面が乾燥の進んだ笹原、灌木の世界となり、トンボも、
ホタルも、姿を消し始めていたのです。
保全の確定とともに、変貌し、乾燥の進んだ谷の世界を、水田にかわる大規模な湿原に変える作業がはじまりました。仕事をすすめたのは、後日NPO法人小網代野外活動調整会議に統合されることになる市民活動団体でした。生態学の専門家をリーダーとする団体は、谷全域にひろがった笹原、灌木林を伐採し、ササ原の復活を阻止するために、新しい水路を何本も谷底に創出したのです。その中心の流れとして、谷の中央線にそって創出された人工水路を、保護するために設置された、長大な「蓋」が、実は散策路のかなりの部分をしめる、ボードウオークだったのです。
小網代のボードウオークを行くとき、時々立ち止まって足元の音に耳をむけてください。各所で、明らかな水音が聞こえる筈。場所によっては、前方のボードウオークの下に、水路そのものがしっかり目撃できるかもしれません。ボードウオークで保護された水路は、各所で、右に、左に、分流するように工夫されています。大雨の小網代のボードウオークを歩く人は、水路から左右に広がる水流で、湿原全体がまるで湖のような水域になる光景を目撃できるかもしれません。小網代は、
流域地形が集める雨の水を、生態学の知見や理論で活用し、創造された大きな創出生態系でもあるのです。
テーマ: ボードウオーク(木道)が湿地を守る仕組み
ポイント: 地面から浮かせて土の踏み固めを防ぎ、水と命の流れを傷つけない
もう一つの役割: 谷の中央に創出した人工水路を保護する「蓋」
歴史: 1960年代まで棚田→放棄→2005年に保全決定し、水路を創った創出生態系
関連:
小網代の保全の歴史・
流域
所在地: 神奈川県三浦市三崎町小網代
地図:
小網代の森マップ
公式サイト/Official Site:
小網代の森(神奈川県)
原稿監修 : 岸由二 (慶應義塾大学 名誉教授)
写真 : 柳瀬博一 (東京科学大学 教授)
プロデューサー :
太刀川英輔 (
NOSIGNER代表・慶應義塾大学特任教授)
発行 :
NOSIGNER・NPO法人 小網代野外活動調整会議