島の西の端に、広い岩の棚が海へ張り出しています。稚児ヶ淵(ちごがふち)。百年ほど前の大きな地震で、海の中から持ち上がった場所です。 一九二三年の関東大震災のとき、江の島のまわりの岩場は、一メートルほど隆起したといわれます。波に削られて平らになっていた海の底が持ち上がり、いまは歩ける岩の棚になりました。…
島の西の端に、広い岩の棚が海へ張り出しています。稚児ヶ淵(ちごがふち)。百年ほど前の大きな地震で、海の中から持ち上がった場所です。
一九二三年の関東大震災のとき、江の島のまわりの岩場は、一メートルほど隆起したといわれます。波に削られて平らになっていた海の底が持ち上がり、いまは歩ける岩の棚になりました。
この名には、悲しい伝説が伝わっています。昔、鎌倉の寺に仕える白菊という稚児がいました。建長寺の僧、自休(じきゅう)は、江の島に参った折に白菊に心を寄せます。白菊は思い悩み、この淵に身を投げたといいます。自休もまた、そのあとを追いました。鎌倉から海沿いの道をたどってきた二人の物語が、この岩場の名になっています。
潮が引くと、岩棚のあちこちに潮だまりが残ります。石の陰ではカニが動き、小さな魚が水の中を行き来しています。岩の表面の細かな穴や溝は、波と、そこにすむ生きものたちが、長い時間をかけて削ってきた跡です。
ここは、夕日の名所でもあります。空気の澄んだ日には、夕日の沈む方角に、富士山の影が浮かびます。
波の高い日や潮の満ちる時刻には、岩の上まで波が上がります。
持ち上がった海の底の先は、もう相模湾です。夕日の沈む西の海へ、水平線が続いています。