鎌倉の町は、北と東と西の三方を山に囲まれ、南の一方だけが海に開いています。源氏山の尾根からは、その形がよく分かります。木々のあいだから、山に抱かれた谷と、その先の由比ヶ浜の海が、ひとつなぎに浮かびます。…
鎌倉の町は、北と東と西の三方を山に囲まれ、南の一方だけが海に開いています。源氏山の尾根からは、その形がよく分かります。木々のあいだから、山に抱かれた谷と、その先の由比ヶ浜の海が、ひとつなぎに浮かびます。
源頼朝がこの土地を都に選んだのは、守りやすいからでした。敵が来るとすれば、山を越えるか、海から来るか。山の尾根は急で、大軍勢が越えられる道は限られています。
この土地には、頼朝より前から源氏のゆかりがありました。先祖の源頼義が八幡神を祀り、父の義朝もここに屋敷を構えていたと伝えられています。伊豆で兵を挙げ、一度は敗れて海を渡った頼朝は、房総で勢力を増やし、武蔵を通って、この谷に入りました。敗者として海を渡った男が、山を越えて都の主になったのです。
守りやすい地形は、暮らしにくい地形でもありました。平らな土地は狭く、人が増えると、山あいの細い谷、谷戸(やと)の奥まで家や寺が入り込んでいきます。山に囲まれた都は、外と行き来するために、山を割って道を通す必要にも迫られました。
山の尾根を渡る風は、海の側から吹き上げ、谷戸の奥で静かに止まります。
山を割ってつくられた道、切通しは、いまもこの尾根のあちこちから、都の外へ続いています。