由比ヶ浜の海から、鶴岡八幡宮まで。およそ二キロ、ほぼ一直線に北へ延びる大通りがあります。若宮大路です。 この道をつくらせたのは、源頼朝です。海から神の社へ、まっすぐに進む参道。武士の都は、この一本の軸を中心につくられていきました。通りには海の側から順に、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が立ち、海から来た人を、三度くぐらせて…
由比ヶ浜の海から、鶴岡八幡宮まで。およそ二キロ、ほぼ一直線に北へ延びる大通りがあります。若宮大路です。
この道をつくらせたのは、源頼朝です。海から神の社へ、まっすぐに進む参道。武士の都は、この一本の軸を中心につくられていきました。通りには海の側から順に、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が立ち、海から来た人を、三度くぐらせてから社へ導きます。
二の鳥居から先は、道の真ん中が一段高くなっています。段葛(だんかずら)です。頼朝が妻の政子の安産を願って築かせたと伝えられ、御家人たちも自ら石を運んだといいます。海に近い低地で、雨が降るとぬかるんだ道を、一段高くして歩けるようにしたのです。
段葛は、八幡宮に近づくほど、道幅が少しずつ狭くなっています。そのため、海の側から進むと、社までの距離が実際より遠く感じられる、ともいわれます。
八百年以上のあいだ、この道を多くの人が歩いてきました。馬に乗った御家人、港に着いた荷を運ぶ人足、江戸から来た参詣者、そして明治に鉄道が通ってからは、海水浴に来た東京の人々。
春には段葛の両側に桜が咲き、道は薄紅のトンネルになります。海風は、一の鳥居のあたりでは潮の匂いを運び、八幡宮に近づくにつれて、山の木々の匂いに変わっていきます。
海から始まった道は、三の鳥居をくぐって、山の中腹の社へと続いています。