炎が、ここを二度なめていきました。最初は落雷で堂が燃え、もう一度は1767年、王都が灰になった夜に。それでも、この巨大な仏は溶け落ちなかった。いま、白い壁に囲まれた静かな堂のなかに、プラ・モンコン・ボピットは座っています。タイ最大級の青銅製の坐仏。膝から膝までの幅は、人の背丈をいくつも並べたほどあります。…
炎が、ここを二度なめていきました。最初は落雷で堂が燃え、もう一度は1767年、王都が灰になった夜に。それでも、この巨大な仏は溶け落ちなかった。いま、白い壁に囲まれた静かな堂のなかに、
[プラ・モンコン・ボピット](https://woud.io/ayutthaya/ja/ayutthaya_18)は座っています。タイ最大級の青銅製の坐仏。膝から膝までの幅は、人の背丈をいくつも並べたほどあります。
この仏を鋳た職人たちのことを、少しだけ考えてみたいのです。青銅を溶かし、分けて流し込み、継いでいく。これほどの大きさを一度に鋳ることはできません。何枚もの型を起こし、溶けた金属の温度を見きわめ、固まる速さと競うようにして注ぐ。失敗すれば、何日もの労働が一瞬で塊になる。そうして組み上げられた仏が、王都の中心、
[ワット・プラ・シーサンペット](https://woud.io/ayutthaya/ja/ayutthaya_5)のすぐ隣で、人々の祈りを受けてきました。
陥落のとき、堂は焼け落ち、屋根は崩れ、仏の体には傷が残りました。長いあいだ、雨ざらしのまま、崩れた瓦のなかに座っていた時代もあります。けれど顔は失われなかった。伏せた瞼、わずかに結んだ唇、すべてを受けとめるような穏やかな表情は、火を越えて、そのままそこにあり続けたのです。
焼けたものと、残ったもの。この王都の物語は、そのふたつのあいだで揺れ続けてきました。塔は崩れ、黄金は奪われ、多くの仏が首を失った。そのなかで、この青銅の体は座り続けた。後の時代の人々は、崩れた堂をふたたび建て直し、屋根をかけ、白い壁でその姿を包みました。
灰のあとに、もう一度手を合わせる場所を取り戻すこと。それは、失ったものを数えるのとは違う、もうひとつの営みです。焼けても、なお座っている——その事実そのものが、ここを訪れる人へのいちばん静かな返事なのかもしれません。
正式名称:
ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット(Wihan Phra Mongkhon Bophit)
本尊: プラ・モンコン・ボピット(タイ最大級の青銅製坐仏)
所在:
ワット・プラ・シーサンペット南隣、アユタヤ歴史公園内
被災: 落雷による焼失、および
1767年の王都陥落での損傷を経て後世に再建
地図:
アユタヤ歴史公園マップ
公式サイト/Official Site:
アユタヤ歴史公園(タイ観光庁)
Photo: Diego Delso /
Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)