肩が並んでいる。だが、その肩から上には、何もない。 煉瓦の壇の上に、石の仏たちが長い列をなして座っています。一体、また一体——首のない胴体が、いまも静かに祈りの姿勢を保ったまま。ワット・プラ・シーサンペットや、かつての王宮の周りには、こうした仏たちが数えきれないほど残されています。…
肩が並んでいる。だが、その肩から上には、何もない。
煉瓦の壇の上に、石の仏たちが長い列をなして座っています。一体、また一体——首のない胴体が、いまも静かに祈りの姿勢を保ったまま。
[ワット・プラ・シーサンペット](https://woud.io/ayutthaya/ja/ayutthaya_5)や、かつての王宮の周りには、こうした仏たちが数えきれないほど残されています。
もともとは違いました。一体一体に、穏やかにまぶたを閉じた顔があり、金箔が貼られ、参拝する人々の祈りを受けとめていた。
[1767年](https://woud.io/ayutthaya/ja/ayutthaya_12)、ビルマ軍が
アユタヤを陥落させたとき、都に火が放たれました。煉瓦の伽藍は焼かれ、仏の首は打ち落とされ、像を覆っていた黄金は剥ぎ取られて運ばれていった。残されたのは、座したまま頭を失った、無数の胴体だけでした。
それでも、彼らは倒れなかった。背筋を伸ばし、膝に手を重ね、火が消えたあとの静けさの中で、二百五十年以上、同じ姿で座りつづけている。顔を失ってもなお、その身体には祈りの形が刻まれたまま——破壊が奪えなかったものが、そこにある。
ここに立った旅人は、しばしば言葉を失うと言います。それは恐ろしさからではなく、滅びさえも飲みこんで、なお静かに続いていく時間の重さに触れるからかもしれません。
かつてこの列の前を歩いた巡礼者は、金色に輝く顔の連なりを見上げていました。いま広がるのは、その同じ場所に影だけになった仏たちの列。失われたものの大きさは、残されたものの沈黙が教えてくれる。
それでも彼らは、まだ祈っています。
場所/Location:
ワット・プラ・シーサンペット周辺、アユタヤ歴史公園 (タイ・アユタヤ)
対象/Subject:
首を失った石造仏像群
破壊の時期/Period of Loss:
1767年、ビルマ軍によるアユタヤ陥落時
様式/Style: アユタヤ王朝期の仏像彫刻
地図/Map:
アユタヤ歴史公園
公式サイト/Official Site:
Tourism Authority of Thailand
Photo: Andreas Hörstemeier /
Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)