物語の壁が、ふと途切れる。その瞬間のことを、言葉でうまく説明するのは難しい。 ボロブドゥールを登る巡礼者は、長いあいだ彫られた石の語りに包まれて歩いてきました。仏陀の生涯、前世の善行、果てしない求道の旅――回廊の壁にびっしりと刻まれたそれらは、人を物語の内側へ閉じ込めながら、同時に上へ上へと導く力でもありました。けれど…
物語の壁が、ふと途切れる。その瞬間のことを、言葉でうまく説明するのは難しい。
ボロブドゥールを登る巡礼者は、長いあいだ彫られた石の語りに包まれて歩いてきました。仏陀の生涯、前世の善行、果てしない求道の旅――
回廊の壁にびっしりと刻まれたそれらは、人を物語の内側へ閉じ込めながら、同時に上へ上へと導く力でもありました。けれど、ある段を越えたとき、その語りがふいに静まります。四角い回廊が終わり、歩みは円い台の上へと移っていく。
四角い回廊が続いていたのは、
色界(しきかい)と呼ばれる領域。欲望に満ちた下界を抜け、かたちはまだ残る世界です。その最上段を越えたところで、石はもう物語に縛られなくなります。壁が消え、視界をさえぎるものが薄れていく。石の語りを追って伏せていた目線が、いつのまにか遠く、空のほうへとほどけていきます。
登ってきた者の肩から、何かが少し降りていく。
円い台の上には、釣鐘のかたちをした
ストゥーパが輪を描いて並んでいます。格子状に石を組んだ小さな塔、その透かしの奥に、ひとつずつ仏像が座っている。閉じ込められているのではなく、半ばかたちを失いかけて、石の格子のあいだから世界へ溶け出していくように。この石を組んだ人々は、悟りへ近づくほどに像が輪郭を手放していくさまを、こうして自らの手で刻んだのでした。
千年以上前、ここまで登りついた巡礼者も、きっと同じように顔を上げたはずです。下の回廊では、すべてが描かれ、語られ、説明されていた。ここではもう、何も説明されません。語りが解けて、輪郭がほどけて、石さえも空気に近づいていく。
かたちは、ここで薄れはじめます。巡礼者の足どりだけが、まだ少し、重さを覚えています。
場所: 方形回廊の最上段から円壇へ / Borobudur
構造区分: 色界(Rupadhatu、方形回廊)から無色界(Arupadhatu、円壇)への境
建立: 8〜9世紀、シャイレーンドラ朝
特徴: 格子状ストゥーパ72基、内部に仏坐像
テーマ: 物語レリーフの終焉と抽象空間への移行
所在地:
ジャワ島中部・マゲラン県
公式サイト/Official Site:
Borobudur Park
Photo: Kanenori /
Pixabay (pixabay)